こんにちは、ジャビッ党ナビゲーターの橙子(仮)です。
今回は、ジャイアンツの吉村禎章1軍作戦コーチの現役時代のホームランのなかから、ジャビッ党が選んだ5本のホームランを紹介していきたいと思います。
吉村禎章プロフィール
PL学園-1981年ドラフト3位
現役時代の通算成績(1982-1998)
1349試合 964安打 149打本塁打 535打点 40盗塁 打率.296
ベストナイン(1986、1987) カムバック賞(1990)
PL学園高校出身で、桑田、清原の先輩にあたります。1981年の春の甲子園で優勝し、ジャイアンツにドラフト3位で入団しました。
同期の1位入団は槇原寛巳、5位に村田真一がいます。
吉村禎章のホームランTOP5
第5位:プロ入り初ホームラン
高卒2年目1983年、吉村は4月15日の阪神戦(甲子園)で小林繁からプロ初安打を放つと、2日後の4月17日には1番ライトでプロ初スタメンを果たします。
その後、6月29日の阪神戦(後楽園)で浜田知明の高めに入ったストレートを叩き、左中間へ3ランホームランを放ちます。これが吉村の初ホームラン。
この年、84試合に出場し、打率.326、5本塁打、11打点の好成績を収めます。
当時の吉村の背番号は55番で、50番だった駒田徳広、54番だった槇原寛巳らと50番トリオと呼ばれました。
第4位:代打満塁ホームラン
4回まで5-1とリードしていたジャイアンツですが、5回表に2点を返され5-3。タイガースに追い上げられます。
その裏に巨人は満塁のチャンスを作ると、藤田元司監督は7番・井上真二(現3軍監督)の代打に早くも切り札の吉村を送り込みます。
吉村はベンチの期待に応え、阪神の3番手伊藤から右中間にグランドスラムを放ちました。
第3位:8点差を追いつく同点3ラン
ジャイアンツは初回に6点、5回に2点を失い、5回表終了時点で0-8と8点のビハインドでした。
しかし、吉村が5回裏に反撃の狼煙となる2ランホームランを打つと、巨人打線は6回に2点、8回に1点を取り5-8と追い上げます。
そして迎えた9回裏、2アウトから岡崎、ブラッドリーが連続内野安打で出塁し、打席にはふたたび吉村。
この日2本目となる3ランホームランは、8点差を追いつく同点弾となりました。
PL学園の後輩、桑田真澄の負けを消すホームランでもありました。
試合は延長11回、村田真一のサヨナラタイムリーでジャイアンツが8点差ゲームをひっくり返しました。
第2位:通算100号ホームランの後に待っていた悲劇
ジャイアンツ恒例の夏の北海道シリーズ、札幌円山球場でした。
前年、3割30本塁打を達成し巨人のクリーアップを担う存在となった吉村は3番レフトで出場。
3回に通算100号ホームランとなる13号ソロホームラン(場外ホームラン)を打ちました。
吉村に続き、4番・原辰徳が19号、5番・呂明賜が9号と3者連続ホームランを放ちます。
7回終了時点で9-1の楽勝ムードの8回表、吉村に悲劇が待っていました。
中日・中尾孝義の打った打球は左中間へ、ボールをキャッチした瞬間、センターに入っていた守備固めの栄村と激突。
左ひざのじん帯断裂という重症を負ってしまうことになるのです。
第1位:リーグ優勝を決めるサヨナラホームラン
1990年のジャイアンツは規定投球回数に到達したピッチャー5人が2ケタ勝利(斎藤20、桑田14、宮本14、木田12、香田11)という、超強力な投手陣でセ・リーグを独走します。
前年の秋に故障から復帰した吉村は、主に右投手の時にスタメン出場(左投手の時には西岡良洋がスタメン)し、84試合241打席、打率.327、14本塁打、45打点と見事な復活を果たします(カムバック賞受賞)。
そして迎えた9月8日のヤクルト戦、延長10回裏、吉村の打った打球はライナーでライトスタンドへ飛び込むサヨナラホームランとなりました。
当時、サヨナラホームランで優勝を決めたのはセ・リーグ史上初。
9月8日の優勝決定は、NPB最速の記録で2020年現在、破られていません。
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